友人に、「上司から『Vtuberって何が良いのか。顔が良く分からん人間より顔を出している芸能人の方が良いんじゃないか』と聞かれたのだが、どう答えたものか」と話題を貰い、結構な時間を話した。
「Vtuberの良さ」についてはもちろん沢山語れるのだが、紙幅が足りないので、まずは「顔を晒すこと」についてまとめたいと思う。
先に結論をまとめると、Vtuberのファンにとって「推し」はコンテンツ供給機ではなく、大事な「推し」という人間である。「推し」には朗らかに活動してほしい。
そしてファンを集める職業にとって、顔を晒すのはリスクでしかない。
であれば、推しが不必要なリスクを取る必要はなく、むしろリスクを回避している方が炎上や引退のリスクが少なく、安心して推せるのである。
詳しく書いていく。
【Vtuberの知識】
・Vtuberはほぼすべて個人事業主である。(事務所所属のVtuberは事務所に雇用される立場ではなく、事務所にマネジメントなどを業務委託している形。)あくまで個人であって非常に弱い立場だ。
・ファンは「推し」が好き。「推し」には朗らかで元気な生活を送ってほしい。
→Vtuberが休暇を取るのをファンは喜ぶ。自分が推しを見られなくて寂しいことより、推しが元気なことの方が大事だからだ。
【顔を晒すメリット】
・本人確認のリスクを背負っていることで信用を増すことができる。
→ビジネスの場においては契約書に印を押すように、顔を晒すことは信用を得る一手段である。
→「顔も分からない人たち」というVtuber界隈の外の人からの不安感は、この信頼感で判断したものではないだろうか?
【顔を晒す行為のデメリット・リスク】
・顔は本人確認の認証要素として強い力を持つ=セキュリティホール=あまり晒すものではない。
→たとえば、プロ棋士やプロ野球選手など顔が才能に関係ないのならば、顔を晒すのはリスクでしかない。町で声をかけられたり、厄介なファンに絡まれる可能性もある。ストーカー犯罪の危険もある。不必要に顔は晒さないべきだ。
・顔はフェチズムの一種でしかない。
→平安時代の貴族の姫などは顔を晒さなかった。当時は歌や筝曲のうまさなどが異性の判断材料である。顔が好悪の判断材料であるのは一過性のブームではないか?
・「推し」に対して「難燃性=炎上しにくさ」を求めている
→推しの炎上はつらい。炎上した挙句、引退なんてしたら最悪だ。つらい思いをしたくないので、炎上しなさそうな、ネットでの立ち回りやセキュリティへの考えがしっかりしている人を推したい。たとえば、顔や本名をわざわざ晒すような危機意識の無い人を安心して推せるだろうか?
芸能人は事務所の守りがあるので顔を晒せるが、Vtuberの多くは個人事業主である。個人事業主は自分を守る力は弱い。
【インターネットの文化】
・アカウントを複数持ち、趣味や用途によってアカウント=アバターやアイコンを使い分ける文化
→身体の顔を気にしない
・リモート通話など、顔を見ないコミュニケーションに慣れている
・コロナの影響もあり、人間の顔をほとんど見ず、2次元キャラクターの顔の方をよく見る人もいる
・40代以上は人間の顔に親しみがあるかも知れないが、30代以下はキャラクターイラストにも同等か、人間の顔以上の親しみを持っている
・SNSの台頭により、画面の向こうの人も普通の人間という認識が強い。普通の人間である自分の嫌なことは推しにとっても同様に嫌なことであろう。ならば推しに嫌なことを押し付けたくない。
【顔を晒さないメリット】
・顔による制限が無い。
→たとえば顔は醜い部類だが歌がうまい人がいれば、今までは芸能人になれなかったかもしれない。が、現在ではアバターを被れば解決する。ファンにとっても活躍する人が増えるのは良いことだ。
・活動時間が増える。
→化粧やヘアメイクの必要が無い。起きた瞬間仕事が出来るし、みだしなみの時間を他の活動や自己研鑽に充てられる。ファンからすると活動時間が多いのは得られるコンテンツの量や質が増えるのでうれしい。
以上である。
改めてまとめると、
Vtuberのファンにとって「推し」はコンテンツ供給機ではなく、大事な「推し」という人間である。「推し」に朗らかに活動してほしい。
そしてファンを集める職業にとって、顔を晒すのはリスクでしかない。
であれば、推しが不必要なリスクを取る必要はなく、むしろリスクを回避している方が炎上や引退のリスクが少なく、安心して推せるのである。
Vtuberの何が良いか、という部分は何も語れていないのだが、この辺にしておく。