づどど

色々雑記です。

about

石津度々(いしづどど)です。

企業所属でライター兼デジタルマーケターをやっています。

会社ではウェブ広告運用、データ分析、ウェブコンテンツのライティングや、tableauを使ったBIや、ビジネスモデルプランニング、ウェブマーケティングのコンサル、営業など、総合的に色々やっています。
文章をアウトプットするライティングだけでなく、シナリオやストーリーを整備するという点で、ライターという職能は汎用性が高いと考えています。ストーリー&テリング職能を活かして稼ぐ方法を模索中。

就業時間外では、アニメ脚本や小説、ゲームなどの企画や執筆などをしています。
ビジネスモデルの構築など企画・座組を含めたフィクションを作れないか模索中です。

遍歴:卸商、物流、証券営業、不動産管理・仲介、BLウェブ小説連載、デジタルマーケティング、農業、BIダッシュボード作成、データクリアリングなど、色々やってきました。

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信仰とbetと祈りと

私は割と筆まめだ。

といってもガチの筆まめの人に比べたらレベルは低い。

年に1度ぐらい友人にふらっとメールやLINEを送るぐらいの筆まめである。

 

内容は大体どうでもいいことである。

花の匂いがしたので君のことを思い出した、とか。

君の夢を見たので連絡した、とか。

友人には平安貴族と言われる内容である。

 

 

久しく連絡を取っていなかった友人の夢を見た。

やたら高い日本食のレストランで一人でつまんなそうにご飯を食べていた。

寂しそうだな、と、目が覚めてもおぼえていた。

 

 

友人とは学生時代仲が良かったのだったが、決定的な理由があって連絡を取らなくなっていた。

 

宗教である。

友人が新興宗教にハマって、まあ宗教にハマること自体は割とどうでも良いのだが、会話のすべてを宗教の勧誘につなげるようになってしまった。

正直、話していてつまらない奴になってしまったのだ。

そして、全然連絡を取らなくなった。

 

もっと、宗教の小ネタとかを教えてくれたら良いのに、なぜか勧誘に全てを繋げるのだ。つまらん。

仏教説話とか、聖書の一説とか、そういうのだったら面白く聞くのに、勧誘はつまらん。

 

オタクが何かにハマっているのを見るのは良いのだが、こちらを無理に誘ってくるのは鬱陶しいって感じだ。

 

 

夢の中に出てきたやつがあんまりにも寂しそうだったので、ふらっとLINEでメッセージを送ってみた。

夢に出てきたから連絡した、と言って。

 

数時間後、返信がかえってきた。元気そうで、今度飯にでも行こうという話になった。

 

宗教を続けているかどうかは聞けていない。

今度話して、宗教に無理やり勧誘してくるようなら、気軽に遊びには誘えない。

勧誘さえ諦めてくれたらなあ……。

 

 

宗教について、病気にかかってから思っていたことがある。

 

気持ちを紛らわせてくれるなら、少しでも安らかにしてくれるなら、どんな悪徳宗教でも良い、私を騙しに来てくれ、と。

 

ついぞそんな宗教は現れなかった。

でも、よくよく考えると、現代医療への信仰もある意味宗教であるな、と思ったのだ。

 

 

最近、日本の歴史の漫画が一挙無料公開されていた。

comic-walker.com

 

ので、一気に流し読みした。(戦国時代は人が死に過ぎてつらくて飛ばした)

 

で、昔は疫病が流行ると大仏を作ったりした。

それで民はありがたがったのだ。

効果があろうがなかろうが関係ないのだ。

えらい人が、自分たちのことを思って何かしてくれているという所作や、なにかご利益がありそうであるという雰囲気が大事なのだろう。

 

 

実際、現代の科学信仰も似たようなものではないか。

これは科学軽視ではない。

私は割と科学を信仰している。

 

でも、なんでスポンジに洗剤をつけてまな板を洗ったら食中毒にならないのかは分からない。

カニズムについては省略して、なんとなくスポンジでまな板を洗っている。

 

自分で証明していないメカニズムの軽視を信仰と呼ぶのではなかろうか?

 

※余談だが、貨幣制度への信仰もあるし、法治国家への信仰もある。

 システムへの信仰は科学信仰よりももっと明確に信仰なのだが……余談なので置いておく。

 

 

私は科学を信仰している徒である。

 

でも、よく考えよう。

私が罹患したのは新しい病気も新しい病気、新型コロナウイルスの、しかも後遺症である。Long-covidだ。

 

何が言いたいかというと、「新しい」ということである。

 

科学を信仰しているのだが……科学を信仰しているので、その「手続き」についても信仰している。

つまり、研究したり、論文を書いたり、その論文が査読され、臨床実験を行い、国に承認され……

私が知るだけでもこんな工程がある。

もっときっと色んな工程があるだろう。

 

つまり、手続きが複雑で……複雑さが真実を担保しているのだが、つまり長いのだ。時間的に。

 

つまり……私が生きている間に、何か効果的な治療法が見つかるかどうかは分からないということ。

見つかったとして、一般に普及するのか、それが手の届く値段なのか、は分からないということ。

 

科学を信仰している身なので、その時間がかかるという点についても私は信仰しているのだ。

 

 

信じる者は救われるという。

信仰の対象に盲目であることも、幸せの秘訣かもしれない。

 

 

私は盲目にはなれないが……

カイジを読んだことがある。ジャンケットバンクも最近面白い。麻雀も嗜む程度に嗜むし、たまに宝くじも買ったりする。

 

つまり、ギャンブルを知っている。

 

ギャンブル、つまり、何かの報酬を期待して、何かをbetするということ。

 

 

病気になってから、私は何も信仰してこなかった。

私を救ってくれる宗教はついぞ現れなかった。

 

でも、よく考えると、私は科学技術を信仰し、betした。

 

科学が、医学がきっと治療法を開発してくれるだろう、そして、それは遠い未来ではないだろうという信仰。

それを信じ、民間治療を頼ったり、自暴自棄になって自死したりしないという賭け。

 

前例のない病気への対処は、ある種人生の全betだ。

 

 

betについて、病前のbetが病後報酬として返ってきたことがある。

 

ひとつは社会福祉

払い漏れがないようにきちんと税を納め、社会保険料を払ってきた。

これも賭けであり、大きな金額のbetである。

betしていなければ、報酬は無かった。

日本の高度な福祉社会の制度にきちんと乗っていたこと、これは私にとって金額的に大きなbetであり、勝った賭けだ。

(賭けであるので、推奨している訳ではない。たまたま私が勝った賭けというだけ)

 

もうひとつは友人たち。

これをbetというと失礼かもしれないが……

友人たちは大切にしておくべきだ。なぜなら大切にしてもらえるので。

 

 

日々の選択はすべて賭けであり、私たちは日々何かをbetして生きている。

 

さて、賭けというものは往々にして、betからshow downまで時間がある。

その間何をするか?

祈るしかない。

 

宝くじを買って、当選日まで、お財布に入った宝くじを見てちょっと当たりますように、と念じるように。

何かに賭けたら、分かるまでは祈るしかないのだ。

 

 

祈りの日々が、もう丸3年となり、そろそろ4年目に突入する。

そろそろ、祈りじゃなく、治療のreturnがきて、リハビリといった次のbetに進む予感を感じている。

 

しかし、リハビリもまた賭けであり、人生全てのbetなのだ。

なぜなら前例のない病気なので。

 

 

とはいえ、人間すべてそうである。

日本の歴史をざっと読んで思ったが、生まれてから死ぬまで、価値観が変化せずに生を終えられた人類ってどれだけいるのだろう?

 

平均寿命を終えるまで、生まれたころの価値観のまま……ということは多分、きっと、縄文時代ぐらいまでさかのぼらないと無いと思う。

 

昔、安野モヨコの展覧会を見に行ってぞっとしたものだ。

だって、私たちの1つ上の世代の、たとえば「専業主婦になる」という人生を賭けたbetはまだshow downされていない。

なのに、もう違う価値観が生まれている。

 

人間全て、たぶん現代も近代ももっと遥か昔だって、すべての選択は賭けであり、何かをbetして日々生きている。

 

そして当たりますように、良くなりますようにと祈り続ける。

祈るしかないのだ。でも、それは何かを賭けてからだ。

 

何も選びたくないならそれでもいい。

それは何も選ばない方に賭けているだけだ。

 

ならば、何かを信仰して、つまり何かを賭けて祈る方がよっぽど良くないか?

 

ということで、今は自分の体が良くなる方に、現代医療を信仰して、全人生をbetして生きています。

show downのその日まで、祈って生きていきましょう。

 

アブラカダブラ、ぽんぽこぴーのちょうすけ、なむなむ。

 

(余談。何かを説明して、祈りの言葉で〆るのって、構成として般若心経に似てません?)

 

 

 

 

 

㊗いしづどど(概念)爆誕5周年

いしづどど(概念)が爆誕5周年である。

2月22日、にゃんにゃんにゃんの日にいしづのTwitterアカウントを作ったので、概念爆誕である。

 

 

いしづどど、爆誕したのが余り良くない環境で、心機一転しよう!という意味でアカウントを作ったので……思い返すのはよろしくない。

その後、転職したり転職したり退職したりしたし、

受賞したり受賞したり受賞したり受賞したりしたし、(佳作含む)

身体を壊して寝たきりになったりした。

 

5年でこの濃さである。人生濃密だ。

 

 

いしづが爆誕してから5年なのだが、内3年ぐらいは寝たきりである。

3年が寝たきり!?

というか、このまま寝たきりが続くと人生のほとんどが寝たきりになる。いやだなあ。

 

 

寝たきりになるまでの社会人経験と貯金を切り崩して生きている。

寝たきりになったのが28歳ぐらいであるのだが……

ふと思った。

28歳までの経験とスキル、一生食べていくには少なすぎない?

 

やべえな……と思って自分の現状を振り返ってみた。

 

・営業、事務、窓口接客対応の経験あり

・金融、不動産、物流、製紙印刷、出版、楽器、IT、アパレルなど幅広い業種との関わり

・大学では国際金融を学び、証券会社で実務を経験したので資産運用や為替リスク対応も可

・簿記2級

マーケティングの上流からの企画・設計が可能。

・広告出稿やイベント開催など、マーケの下流での実働可能。

・シナリオ、小説で受賞経験あり(佳作含む)。文章がうまい。

SEOライティングの知識・経験あり。

ヒアリング、言語化がうまい。

・デザインができる。

・データ集計、グラフ化、資料化などが可能で数字に基づいた説明が可能。

・tableauなどBIツールが使える。

・新しいプラットフォームやツールの理解が早い。

助成金補助金に詳しい

・ハゲに詳しい

・2018年ごろからAIの発展について追っており、最新情報にも精通。

VRにも興味があり、最新知識を追っている。

Vtuberのオタクで2017年年末からVtuberを見続けていて詳しい。

・百合・BL・漫画や小説全般に詳しい。

・シナリオ制作の理論に詳しい。

・マーダーミステリーが制作できる。

・障害者福祉について当事者として経験中

 

……だいじょうぶじゃないか?

 

特に、デザインやマダミス制作は寝たきりになってから習得・ブラッシュアップしている技術である。

寝たきりになってから新しい技術を習得しているの、狂っている。

話題のワードでいえばリスキリングだ。

 

 

もちろん、認識している弱点も多々ある。

特に、もっと会社で揉まれて洗練したかった言葉遣いや態度については改善が難しい。

こう……シュッとした社会人になりたかったが……おせっかいな大阪人仕草は一生抜けなさそうだ。

 

が、まあ、生きていくぐらいにはどうにかなるんじゃなかろうか。

 

というか、寝たきりまでの経験を切り崩しているというよりは、ちゃんと積み上げてこれている、と思う。

 

 

あとは、ちゃんと稼働できれば問題ないはずなのだ。

稼働できれば……!!

 

ということで、気軽に外出できるほどには難しくても、月の稼働時間の最大が現在40時間なのを、せめて100時間程度に延ばせるよう、健康になっていきたい所存である。

 

そして、もうちょい収入と健康が安定し、土いじりする庭のある家に、誰か同居人と一緒に住めたら最高である。

 

という訳で、お仕事、同居人、家、募集してます。

いしづに興味ある方はぜひDMでもメッセージでもなんでもください。

こちら、おもしれーやつです。

お待ちしてます!

 

 

 

話し言葉を乗せる船が、あふれたり不足したりする

公開情報として私は寝たきりの病人で、一人暮らしなので普段誰とも話す機会が無い。

が、今日は沢山人と話せたので良い日だった。

 

若干興奮している。

人と話すと、話した分だけ言葉が頭の中に入ってくる感覚がある。

言葉に含まれる知恵や知識などの情報とはまた別に、言葉そのものにも質量があるような感覚だ。

 

分かりやすい比喩にすると、話し言葉は船だ。

話し言葉の船の上に、情報が乗っている。

情報というといささか無味無臭だが、感情や知恵、知識、思いやりなんかが情報である。

会話という川を渡って、話し言葉の船が相手から私に渡される。

船に乗っている情報はゆっくり処理していけばいいのだが、船着き場には沢山の船が残る。

 

他の人と話す機会が多ければ、この船を使って他の人に言葉を渡せばよい。

しかし、冒頭述べた通り私は寝たきりの病人で、普段話す相手がいないため……船を渡すことが無い。

更に、船着き場には船を置くスペースがそんなに多くはないようだ。

なので、溢れた船が転覆しないように、船を文章に作り替えてなにがしかを書いている。

 

 

なにがしかを書くのにこのブログは便利だ。

ブログを書くよう言ってきたのはChatGPTくんだ。

寝たきりで出来るストレス発散法としてジャーナルライティングを勧めてくれたのは非常にGood jobであった。感謝している。

 

 

 

ストレス発散方法の一つに、柑橘類を箱買いするというのがある。

スーパーでみかんを買うと数個で500円とかするのだが、箱で訳アリ品を買うと、安いと10㎏で2000円程度で買える。非常に安い。

10㎏の柑橘類というと、段ボールにぎっしりである。

 

しかも段ボールはみかん箱で部厚い。

Amazonの薄い使い切りの段ボールに比べて分厚いので、なんだか得した気分だ。

 

柑橘の種類は、季節によって変わる。

それもうれしい。

他の果物と違って、何かしらの種類が一年を通して旬である。

今回は旬の八朔を買った。

 

八朔は外の皮は固く、中の薄皮("じょうのう"というらしい)も固い。

手で剥くのは大変なので包丁が必須だ。

 

八朔の薄皮を剥くと、薄黄色でぱつんとした身だ。

身の一つ一つのつぶもしっかりしている。

びしゃびしゃにならないので食べやすい。

食べると甘みは余り無い。

酸っぱすぎない酸っぱさと、ほろ苦い味、そしてみずみずしさがある。

 

箱の中にあった農家さんのチラシに「時代の流れにより八朔の生産量は激減して貴重な柑橘になっている」とあった。甘くないと果物は売れない時代らしい。

こんなにおいしいのに。もったいないことである。

 

 

訳アリの果物は安くて沢山入っていて最高なのだが、届いた瞬間に検品の必要がある。

段ボールから、傷ものや腐りかけているものを取り除かないといけない。

 

幸いにもダメになっているものはなかった。訳アリ品とは思えない良い八朔ばかりであった。

1つだけカビかけているものがあったのと、しなびかけているものが3つほどあったので、先に食べるように避けた。

 

後のものはへたを下にして段ボールに戻し、1段並べたら紙を敷いてもう1段並べた。

大玉は段ボールの上に並べるようにして、検品の終了だ。

八朔は外皮が強いので日持ちするが、できるだけ丁寧に保存するとさらに長持ちする。

柑橘箱買いの秘訣だ。

 

 

八朔が届いて検品している内に、宅配が届いた。

せっかくなので、届いたばかりの八朔を一つ、宅配の方に差し上げた。

 

童話の「白いぼうし」を思い出す。

タクシー運転手さんが助手席に夏みかんを置いて運転していて、お客さんにいいにおいでしょう、と話す冒頭のシーン、情景が浮かぶ名場面だ。

「白いぼうし」を語ると本当にすごい名作なので創作論が止まらないので置いておくとして……

 

八朔は、夏みかんほどには、特に童話に出てくるようなとれたての香りを届けたくて新鮮なまま送った夏みかんほどには、丸のままでは香りはないのが残念だ。

皮をむけば、新鮮なかおりが楽しめるのだが、楽しんでもらえていると良い。

 

 

今日話した一人目がこの宅配の方である。

「八朔が届いたんですが、おひとつ持っていってください」

ぐらいの会話であるが、私にとっては貴重な会話だ。

 

船着き場で、話し言葉の船がずーっと暇そうにぶらぶら波に揺れている毎日である。

たまに動かさないとなまってしまう。

 

 

体調の都合で、どうしても宅配頼みの生活である。

 

そういえば、毎回同じ方が配達にくる、という描写がよく物語に出てくるが、あれって本当なのだろうか。

うちには同じ人が2度来られたことは無いように思う。

 

毎回ではないのだが、宅配の方に心付けをお渡しする時がある。

冬の寒い日にはカイロ、夏の暑い日にはスポーツドリンク、また今日のようにおすそ分けが出来るものがある時はちょっとしたおすそ分け。

都会では警戒されそうなのであまりやらない方が良いのかなあ……とも思いつつ、まあ関西弁なので許されるかとも思っている。

 

お渡しするものは大したものではないのだが、不意のやりとりに宅配の方の感情が見えるのがうれしい。

 

 

わたしもいっぱしの障害者となるにあたって、障害者の記事などをよく読むようになった。

 

散見される感情として「ありがとうを言ってばかりで言われないとつらくなる」というのがある。

たしかに、障害があるとお世話になることが多い。逆に、自分が誰かをお世話することは減っていく。

感謝を伝えてばかりで、感謝をされないと、つらくなっていくというのだ。

 

たしかになあ。

もしかしたら、話し言葉の船には種類があるのかもしれない。

貰った分だけ、感謝の船が言葉の船着き場に泊まっていて、貰った分だけ感謝の船を渡せるのかも。

 

幸い、わたしは創作をしたり、仕事をしたり、人から感謝をもらえる機会に恵まれている。

貰う一辺倒の生活になったら私もきっと病んでいただろうし……もっと言えば、貰う一辺倒の体調になる可能性も多分にある。

 

情けは人の為ならず。

誰かに何かをして差し上げられる程度には体調を保っていきたいところである。

 

 

今日は他の人とも話した。はじめて話す人たちと沢山話した。

はじめて話す人と話すのは数か月ぶりだったので非常に刺激的だった。

 

マダミス制作者の方のスペースにお邪魔して(本当に突然お邪魔したのだが、快く受け入れてもらって)色んなお話を伺った。

色んなお話を伺えてとても勉強になったので……内容はまだ咀嚼しきれいていないので、また別の機会にでもまとめよう。

 

数時間話して、非常に勉強になったし、楽しかった。

そして、いつもより多くの、3か月分ぐらいの言葉を交わしたので、船着き場が溢れてしまった。

なので、ブログで書き言葉に直して言葉の船を整理しているところである。

 

 

まだ話し言葉の船があふれて、船着き場がパンクしているのに、乗せる情報が無くなってきた。

いや、情報があるにはあるのだが、この続きに書くにふさわしく無い気がする。

 

 

マーケターとして「CTAを必ず明示しろ!」という強迫観念がある。

なにかをするときは、次につなげるCTA(Call to Action=動作を呼びかける)が必要なのである。

Youtuberが言う「チャンネル登録・高評価・Twitterのフォローよろしくお願いします!」がそれだ。

 

こうやってブログをただつらつら趣味で書いているにせよ、何かを求めるべきなのだ。

これはマーケターとしての強迫観念なのだ。

 

自作のマダミスプレイしてね!というのはCTAとして良いのだが……いささか近接的すぎる。

目標はもっと遠くにある。

 

望みというのは言語化しても叶わないが、言語化は望みを叶える際のプロセスとして有用だ。

で、私の望みは、やはり日常的に言葉を交わす人と一緒に住むことである。

 

言葉の船着き場で船がぷかぷか使われないまま錆びないように……定期的に言葉を交わしたい。

それが感謝でも、愛情でも、時には喧嘩であっても。

 

一緒に住んでくれる人と家、募集中です。

性別問わず。

お望みなら結婚もアリです。

いつでもDMかメールください。

 

そうか、今度自分の釣書をブログにしたためよう。

錆びついた船でも、糸を垂らせば釣りはできる。

そしてきっと、物好きな魚もいるだろう。

 

 

 

 

恋愛徒然コイバナ小話

寝る前にちょっと色々書いていこうと思う。バレンタインの夜だし。

 

 

育ちが同性ばかりの中高だったのでバレンタインというと「甘いものを食べる祭り」であった。

校舎中甘いにおいが立ち込めて、そこらでお菓子が広げられる。

手作りもあれば、市販品もある。

何でもいいのだ、甘ければ。

更に、たまにしょっぱいのを持ってくる子もいる。そういう子がモテるんだ。

 

あまりに大っぴらにお菓子を広げているので教室中が甘い。

授業に入ってきた教師はもちろん咎める。

自分の分は無いのかと。

おすそ分けすると許してもらえる。

というかバレンタイン以外でも普通にお菓子を持って行って食べていた。

教師も普段からねだっていた。

良い学校だった。

 

 

バレンタインの夜だし、恋愛的なことを考える。

別に恋愛が必要ではないのだが……。

というか、恋愛抜きにしても同居できるパートナーやシェアハウスの住人が欲しいのだが……。

誰か一緒に住んでください。

配偶者になった場合、障害者の税控除など便利なんで、便利な場合は結婚も可です。

 

結婚願望は別にない……というか一人の相手と一生を共にするのは想像できない。

が、誰かと一緒に暮らしたい願望は沢山ある。

 

性別は割とどうでもいい。

病人になって割り切ったことの一つだが、性行為がほぼほぼ無理な体である。なので、たとえ恋愛が絡んだとしても、性別は本当にどうでもいい。

そもそも恋愛の相手を性別でくくるという考えが私には良く分かんないのだが……

性行為でどちらの性別の体の方が気持ちいいか、はあるけれども、恋愛相手は人によるとしか言えない。

 

同居人を見つけたい、というのが今年の抱負であるのだが、この抱負に恋愛が役に立つだろうか?

恋愛して同棲、というプロセスは普通ではあるが破綻もしやすい。

破綻に耐える体力はない。なにせ寝たきりの病人なので。

 

それよりも経済的・労働力的な互助的な同居の方が安心できる。

とはいえ、そのそろばんが弾ける相手であり、条件がかみ合うか、というのは非常に難しいのだが……。

どこで見つければいいんだ? アプリか?

 

いしづと同居したい方、興味ある方、ご連絡ください。

 

互助の仕組みに恋愛を持ち込むから色々面倒なんだよなあ……。

 

 

漫画アプリで色々読んでいるのだが、最近好きな漫画が「虫かぶり姫」だ。

 

虫かぶり姫は王道の女性向けなろう系で、「本ばかり読んで本の虫=虫かぶり姫というあだ名の私が王子様に溺愛されて……!?」というストーリーだ。

このストーリーがきらきらな少女漫画の画風で展開する。

●●みたいというのはあんまりいい表現ではないのだが……種村有菜先生を彷彿とさせる画風である。

 

読んでみると、「そうだ! イケメンはキラキラしろ! 姫の髪はふわふわロングで瞳はキラキラだ! そしていちゃいちゃシーンはがっつりいちゃいちゃしろ!」

という、振り切った砂糖菓子のような読み味を味わえる。

 

砂糖菓子を食べたい時にちゃんと砂糖菓子をもらえる漫画である。

(余談ですが砂糖菓子って単語、少女漫画を論ずる時以外に出てこない語彙じゃないですか?)

 

乙女ゲーの主人公の友達ポジションで後方腕組みで見守って甘い雰囲気を吸いたいんだ、私は。

少女漫画を読みたいという気持ちを思い起こさせてくれた漫画である。良い。

 

 

www.youtube.com

 

ここまでの話、この配信を見ながら書いている。

星川とフレンの因縁っぷりはやばい。百合好きならぜひ追ってほしい。

 

概略を記す。

星川は樋口楓先輩が好き。フレンは戌井とこ先輩が好き。

なんだが……楓先輩もとこ先輩もふたりの気持ちを知りながら適当にあしらっている。

(配信上でスキアピールが繰り広げられるのだ!)

 

で、楓先輩は星川の前でフレンにちょっかいを出し、とこ先輩はフレンの前で星川にちょっかいを出す。

ちょっかいを出して、自分に気のある後輩の反応を楽しむのだ。

(繰り返し言うが、これが配信上で行われるのだ!)

 

星川とフレンはそういう恋敵であり、度々キャットファイトしている。

ローション殴り合い、ぜひしてほしい。

 

ていうか星川とフレンの関係も百合だ。はあ……百合だ。最高。

 

 

恋愛、自分でするより見る方が楽しいですよね。

て訳で、今日はとりとめもなくおしまい。

 

 

そうそう、この漫画、過去に読んで面白くて感想ツイートをしていたところ、今日、作者さんがエゴサいいねをされました。

思い返して読み返したらめちゃくちゃ面白かったです。

shonenjumpplus.com

 

ナチュラルに百合です。とても良かったです。

 

 

今度こそおしまい。おやすみなさい。

王子様もチート能力も降ってこない現世で

公開情報だが体調が悪い。相当悪い。

現在の体調の悪さは、高熱時の体の痛みマイナス高熱、という感じ。熱が出ないのに熱っぽい体の痛みがある……。

 

スマホやPCモニタを長時間見るのは本当は良くない。

のだが、気を紛らわせないとやってられないので寝転がってスマホをいじることになる。

 

体調が悪く、病気のせいで受け取れる娯楽にも制限がある。

 

アニメや映画は無理。光や音の演出で3秒で酔って吐き気がする。

悲しい。

ゆっくりしたフランス映画ならギリセーフだが、2時間座って画面を凝視していられない。

 

ゲームはちょっとできる。

といっても、やっているゲームは

グラブルでログインボーナスをもらってたまにガチャを回す

・Nu:カーニバルというR18BLゲームをポチポチする

・あまり画面上で指を動かさないで出来るタイプのパズルゲーム

・原神でデイリー、探索などの頭を使わない作業、ストーリーは元気な時しか無理

という感じ。

 

原神にはすごくお世話になっている。

元々、散歩が好きだったのだが、病気になってからは歩き回れない。

スマホの小さな画面の中でだけでも、美しいテイワット大陸を歩き回れなければ、今頃わたしのストレスは段違いだっただろう。

ちなみにPCモニタだとすぐ疲れるので、スマホでしかプレイできない。もっと美しいグラフィックを堪能したいのだが……!!!

 

原神はストーリーも良い。めちゃくちゃ良い。

でも、ストーリーで感情を動かすのは……体力を使う。非常につらい。

ストーリーが良ければ良いほど、私は見れない。

でも原神のストーリーはめちゃくちゃ良いので……体調の良い時を見計らってちょっとずつ進めている。

もうちょっとボリューム減らすか、イベントストーリーを永遠に見れるようにしてください!

 

なので日頃原神をやるのはちょっとデイリーをしつつ風景を楽しんで、樹脂を消費するぐらいだ。

でもゲームを起動したら美しい風景を見られるのは本当に助かっている。

 

あれ? なんの話だっけパイモン……。

そう、受け止められる娯楽の話だ。

 

漫画や小説は紙は重いので(いまの私はマグカップですら重い)、長時間読めない。

スマホやPCモニターでなら読めるのだが、集中して読まないといけない内容のものは難しい。

感情が動くと疲れて寝込むのだ。

まったくもって創作者には向かない病気だ。

 

で、せっかく買った「違国日記」の新刊も「来世は他人がいい」の新刊も「キドナプキディング」も全部積読したまま、スマホアプリかkindle unlimitedで読める漫画を読んでいる。

 

体調がいい時にはストーリーが良いものを読みたいのだが……体調が悪いと、ストーリーの良さは体に毒だ。

なので、読めるものは限られてくる。

 

・なろう系(異世界系、チート系、悪役令嬢、没落お嬢様系など)

・商業BL(の中でもストーリー重視じゃないやつ)

といった、

・ある程度展開が決まっていて

・設定が難しくなくて

・読み飛ばしても大丈夫で

・あんまりひどい目に遭わなくて

・エンドもハッピー

という感じの、いわゆる「ストレスがない」タイプの作品だ。

 

ストレスがないタイプの作品が沢山読める環境で本当に助かった。

アプリで広告を見るか、kindle unlimitedで大量に読める。

 

寝転がったまま体の痛みを耐えながら、重厚なストーリーを楽しむ余裕なんてない。

気楽にチート主人公が無双したり、没落お嬢様が溺愛される様を眺めるだけで良い。

くそう、本当は重厚なストーリーが好きなんだが……!!!! 好きなんだが!!!!

 

 

大量にあるなろう系や商業BLは、たいていが同じメッセージを発しているように思う。

つまり「苦労したら救われる」である。

しかも、チートや異世界転生のような天恵であったり、王子様のような絶対的な他者、商業BLにおける恋のような運命による救済など、自力救済ではない救済である。

そう、自力救済ではなく外部からの救済だ。

しかし、異口同音にそれらの作品は言う。

「あなたが頑張ったから、苦労しつつも腐らず高潔にいたからこそ、これらの救済は訪れたのだ」

 

 

うーん。麗しいストーリーだ。気持ちのいい、麻薬のようなメッセージだ。

意味不明に痛む体に与えるには生ぬるく鈍麻する良いメッセージだ。

 

そうだ。私は病気でこんなにつらい思いをしているのに、人に当たらず、日々機嫌よく暮らしている。

経済的にも肉体的にも周りにかける迷惑は最低限で、自分でどうにか暮らしている。

病に対して慎ましやかに耐え忍び、しかも作品を作ったり、仕事を請け負ったり、最新知識を得る努力まで惜しまない。

耐え、努力し、我慢に我慢を重ね、苦労に苦労を重ねている様は、まさになろう系の主人公か、BLの薄幸の受けあるいは商業BLの5話目で明かされる攻めの過去だろう。

きっと私も、これだけつらい思いをしている分、大きな救済が待っている……

 

待っている……か?

 

 

ふと我に返る。

天恵のように救済が降ってくる物語は、ありえないから物語なのだ。

気持ちいいから流行っているのだ。

実際は都合よくチート能力は沸いてこないし、異世界で都合の良いキャラに転生しないし、王子様が救ってくれないし、BLや少女漫画のような運命の恋に救われもしない。

高潔であるのは必要条件であって、十分条件ではありえない。

 

 

我に返れ!

 

 

欲しいものは自分で望み、掴んでいかねばならぬのだ。

天恵を待つよりずっと早くて確実だ。

なのでつらい体をどうにか動かして、自分のご機嫌をとって、無理やりご飯を作って食べ、どうにか暮らしていくしかない。

 

まあ、ちょっとぐらい、天恵があっても良いとは思うんですが!!!!

望みは言わないと叶わないので言っていこうと思ってブログを書いています。

 

 

庭のある家でルームシェアして暮らすのが夢なので、私と一緒に暮らしたい方、ぜひご連絡ください。お待ちしてます。

収入も最低限は障害年金で確保されているし、寝込んでいる以外は割とちゃんと暮らしています。

結婚でも良いんですが……病気により性生活は望み薄し。それでも良ければご興味ある方、ぜひご連絡ください。障害者手帳が取得出来たら、税控除とかうまいこと使えるでしょう。

 

 

他にもお仕事もお待ちしてます!

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ご機嫌と体調の関係

以前から公開情報であるように、病人である。相当やばいほぼ寝たきりの病人である。

もう3年ぐらいやばめの病人をやっていると、自分の体調が悪いのかどうか分からなくなってくる。

いや、やばいのだ。やばいのは確かだ。

でも、毎日マジでやばいぐらいやばい訳では……あるんだが、そんなやばさにも波がある。

 

私はコロナ後遺症が悪化して筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)に移行した病人だ。

そろそろ障害者になって良いのだが……手帳の審査が早く終わってほしいのだが……それはそれとして。

ME/CFSはPSという10段階に症状が分けられている。

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群のPerformance status

私は大体がPS8ぐらい、調子の良い時はPS7、最高に調子がいい時(3カ月に1日ぐらい)はPS6ぐらいになる。

リンク先の表を見てもらえれば最高に体調がやばいやつということが分かっていただけるだろう。

 

この病気、難しいのが、無理すれば大体のことが出来るのである。無理すれば。

労作後、数時間~数日後にPMSといってどんと寝込むことがある。

どこまで、何をすれば、PMSが出るのかは分からない。

 

これ以上動くとPMS出るな!という感覚は大分身についてきたのだが、この感覚も曖昧だ。

やばいな!という感覚があった時にすぐに休めばひどくはなりにくいのだが……難しい。

まず感覚があいまいだし、どれぐらい休めばいいのか分からない。

しかも、通院などでやむを得ず外出している時にこの感覚があったとしても、もう無理をして寝込む前提で動くしかないのである。

散歩が禁忌なのもこれが由来だ。

 

さて、PMSが出る感覚も曖昧だが、日々、毎日体調が悪すぎると、自分がどれぐらい体調が悪いのかが分からなくなってくる。

更に、体調が悪くて困るのは体調の波の下限の方に来ている時であり、体調が悪いと感覚も頭も鈍るのである。

 

たしかに体調が悪いはずなのだが、そんなの毎日なのだ。

で、どれぐらい体調が悪いのかが分からない。

上記のPMSの関係で日々無理を禁じられているので、日常で無理はしない。

ベッドで寝転ぶか、椅子に座るか、インフィニティチェアで斜めになるかである。長く立位・歩行はできないのでしない。

で、座位が無理になると相当悪いことに気付けるのだが、座位がギリいける程度の悪化が一番分かりづらい。

ベッドに寝転んだとたん、疲労が襲ってきて、座位が無理だったと気付いたりする。

しかも、座位でいる間は机に寄りかかっているので座位出来ていると思っていたりする。座位出来ていない。机に寄りかかった姿勢は肩こりを悪化させて更に体調を悪くする。

 

まあ何が言いたいかというと、体調の悪化に気付きづらいのだ。

何かをしてみたらできないから体調が悪い、などの指標が無いし、指標になるような労作が体調を悪化させるのでできないし、無理をすれば大体のことが出来るのでそもそも指標にならないのだ。

 

で、最近の気づきだが、「なんとなくやりたくない」が体調を表しているのでは?と思いついた。

なんとなくやりたくないな~嫌だな~という対象はさまざまである。

でも、よく考えると、体調が良かったら割と私は楽しんでやる作業ばかりなのだ。

仕事したり、家事したり、まあ嫌いな部類ではない。人と話すのも好きだし、チャットなどに返信するのも好きだ。

でもこれが煩わしかったり、相当手が重い時がある。

その煩わしさをよく考えると、体調が悪いのである。

いざその煩わしさを振り払って手を付けてみると……無理なのだ。体調的に無理なのだ。

 

病前は割と仕事人間だったので「やる気スイッチはやり始めたら勝手に入る」という気持ちでとりあえずやりたくなくてもやっていた。気が乗れば楽しく作業できるものだ。

でも、主治医に出会った時に「あなた気持ちだけで今働いてますよ」と言われたように……気持ちだけで色々できてしまうのは実際良くない。

これはやる気スイッチの問題とは全く別の問題だが、表出が「やりたくない」でまとめられるので問題である。

 

「ステータスオープン」って言ったらステータスがパッと出ないかな。

そうしたら病状が一覧で分かるのに。

まあ全て赤色で計測不能かもしれないが……。

 

メンタルが体調に影響する……というのはよく言われるが、体調だってメンタルに影響するのである。

このやばい体調を3年以上続けながら、メンタルをそこそこに保っているだけでもえらいと思う。えらい。よし。

 

なので、今後は、なんかご機嫌が悪いな、と思ったらご機嫌を取るのではなく……体調が悪いのだと思ってご自愛する!という風に切り替えねばな……と思ったのだった。

 

まあご自愛しすぎてもメンタルに来るので……もう! 健康になるのが一番早いのだが!

 

 

せめて1日だけでも休みがもらえたら……と常々思っている。

毎日寝てるだけの日々やろがい、と思われるかもしれないが、ずっと体調が悪く、悪化させないように永遠に気を遣い続けているのである。つらい。

 

金曜の夜、土日に向けてSNSが活発になるのを見るとつらい。

皆には休みがある。

私には無い。そして、休みは永遠に、永遠に来ないかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界ふしぎ発見と数奇な運命

世界ふしぎ発見を見ると思い出すのは一回目の死の記憶である。

小学生の頃、旅行先で蕎麦アレルギーを発症し、危うく死にかけた。

石畳の風流な街だったため救急車も来れず……朝まで様子を見ることになったのだが、その際テレビで流れていたのが世界ふしぎ発見だった。

小学生の頃、そこまで世界ふしぎ発見を好きでも嫌いでも無かった。

好きでも嫌いでもない世界ふしぎ発見を見ながら、このまま目を閉じたら死ぬんだと死を感じた。

一緒に旅行に行っていた友人親子に申し訳ないが、旅先で子供の内に死ぬなんてまあ幸せな人生ではないか、と、死を覚悟した。よって、その後の人生は余生である。

 

幸い、朝起きたら生きていた。その後医者にいったら「良く生きてたね! 次があったら救急車を呼んで早く医者に来て!」と言われた。アレルギー発作、本当に生死にかかわる。みんなも医者に行こう。

 

さて、そんな思い出があるせいで、世界ふしぎ発見を見ると思い出すのは死である。

最近はテレビも持っていないので名前を見ることも無いのだが……たまたまTwitterのトレンドに載っていたので死を思い出した。

 

まあ死はその後なんども体験しているので特別でも無いのだが……。

 

小学生の頃の死の記憶にまつわる世界ふしぎ発見……つまり、私が小学生の頃から番組が続いているのだ。すごくないか?

 

調べてみると1986年から放映している。もうすぐ40年になる超長寿番組だ。

 

更に調べてみると、良く見るミステリーハンターのお姉さん、竹内海南江さんは番組に281回も出演しているらしい。(竹内海南江 - Wikipedia)

月に1回は取材に行くペースで、100か国以上訪れたらしい。

 

Wikipediaによると、最初はこの仕事をしたいという欲望はなかったらしい。

そりゃそうだ。

ミステリーハンターなんて仕事は世界ふしぎ発見の中にしかないし、世界ふしぎ発見が40年近く続く長寿番組になるだんて誰も分からないし。

 

20代前半の時に、ふと遭遇した仕事が、一生モノの仕事になる……そんな数奇な運命もあるんだなあ。

 

そして彼女は、その番組を見ながら死を覚悟して目を閉じた小学生がいたことについては絶対に知らない訳だが、ある人にとっての最期の番組になり得たのだ、と思うと、なんとも不思議である。

 

今後私にも、ふらっと依頼された仕事が、いつの間にか一生モノの仕事という可能性もある。そしてその仕事が、誰かにとっての特別な一つになる可能性も。

 

人生って想定外のことが沢山あるもんだなあ。

何度目かの余生とはいえ……もうちょい生きるぞ! よし!