づどど

色々雑記です。

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石津度々(いしづどど)です。

企業所属でライター兼デジタルマーケターをやっています。

会社ではウェブ広告運用、データ分析、ウェブコンテンツのライティングや、tableauを使ったBIや、ビジネスモデルプランニング、ウェブマーケティングのコンサル、営業など、総合的に色々やっています。
文章をアウトプットするライティングだけでなく、シナリオやストーリーを整備するという点で、ライターという職能は汎用性が高いと考えています。ストーリー&テリング職能を活かして稼ぐ方法を模索中。

就業時間外では、アニメ脚本や小説、ゲームなどの企画や執筆などをしています。
ビジネスモデルの構築など企画・座組を含めたフィクションを作れないか模索中です。

遍歴:卸商、物流、証券営業、不動産管理・仲介、BLウェブ小説連載、デジタルマーケティング、農業、BIダッシュボード作成、データクリアリングなど、色々やってきました。

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Vtuber論:顔を晒すことのリスクとメリットについて

友人に、「上司から『Vtuberって何が良いのか。顔が良く分からん人間より顔を出している芸能人の方が良いんじゃないか』と聞かれたのだが、どう答えたものか」と話題を貰い、結構な時間を話した。

 

Vtuberの良さ」についてはもちろん沢山語れるのだが、紙幅が足りないので、まずは「顔を晒すこと」についてまとめたいと思う。

 

先に結論をまとめると、

1つ目に、従来、符丁として機能していた顔や見た目をもって、人間性を図っていた。が、符丁としての顔や見た目は機能していたように見えて実際は属性や能力を表すのに十分な機能を備えていない。
他の符丁があるならば、他の有用な符丁を使うのが道理である。
たとえばVtuberであれば、キャラクターデザイン(人脈・資金力の誇示)や実際提供するコンテンツなどである。

 

2つ目に、Vtuberのファンにとって「推し」はコンテンツ供給機ではなく、大事な「推し」という人間である。「推し」には朗らかに活動してほしい。

そしてファンを集める職業にとって、顔を晒すのはリスクでしかない。

であれば、推しが不必要なリスクを取る必要はなく、むしろリスクを回避している方が炎上や引退のリスクが少なく、安心して推せるのである。

 

 

 

詳しく書いていく。

Vtuberの知識】

Vtuberはほぼすべて個人事業主である。(事務所所属のVtuberは事務所に雇用される立場ではなく、事務所にマネジメントなどを業務委託している形。)あくまで個人であって非常に弱い立場だ。

・ファンは「推し」が好き。「推し」には朗らかで元気な生活を送ってほしい。
Vtuberが休暇を取るのをファンは喜ぶ。自分が推しを見られなくて寂しいことより、推しが元気なことの方が大事だからだ。

 

【顔を晒すメリット】

・本人確認のリスクを背負っていることで信用を増すことができる。
→ビジネスの場においては契約書に印を押すように、顔を晒すことは信用を得る一手段である。

→「顔も分からない人たち」というVtuber界隈の外の人からの不安感は、この信頼感で判断したものではないだろうか?

 

【顔=符丁】

顔はある種の符丁である。

人は見た目が9割という風に、従来、対面コミュニケーションの世界では顔や見た目は自分の属性や能力を示す符丁であった。

 

しかし、本当に見た目=能力であろうか?

貧困者と教授の写真を見比べる実験をしたら、分類できなかったという笑い話もある。

 

符丁として他のものが使えるのなら、顔や見た目は必ずしも必要な符丁ではないし、有用な符丁でもない。

たとえばVtuberであれば、符丁となっているのはキャラクターデザイン(人脈・資金力の誇示)や実際提供するコンテンツなどである。


【顔を晒す行為のデメリット・リスク】

・顔は本人確認の認証要素として強い力を持つ=セキュリティホール=あまり晒すものではない。
→たとえば、プロ棋士プロ野球選手など顔が才能に関係ないのならば、顔を晒すのはリスクでしかない。町で声をかけられたり、厄介なファンに絡まれる可能性もある。ストーカー犯罪の危険もある。不必要に顔は晒さないべきだ。

 

・顔はフェチズムの一種でしかない。
平安時代の貴族の姫などは顔を晒さなかった。当時は歌や筝曲のうまさなどが異性の判断材料である。顔が好悪の判断材料であるのは一過性のブームではないか?

 

・「推し」に対して「難燃性=炎上しにくさ」を求めている
→推しの炎上はつらい。炎上した挙句、引退なんてしたら最悪だ。つらい思いをしたくないので、炎上しなさそうな、ネットでの立ち回りやセキュリティへの考えがしっかりしている人を推したい。たとえば、顔や本名をわざわざ晒すような危機意識の無い人を安心して推せるだろうか?
芸能人は事務所の守りがあるので顔を晒せるが、Vtuberの多くは個人事業主である。個人事業主は自分を守る力は弱い。


【インターネットの文化】

・アカウントを複数持ち、趣味や用途によってアカウント=アバターやアイコンを使い分ける文化
→身体の顔を気にしない

 

・リモート通話など、顔を見ないコミュニケーションに慣れている

 

・コロナの影響もあり、人間の顔をほとんど見ず、2次元キャラクターの顔の方をよく見る人もいる

 

・40代以上は人間の顔に親しみがあるかも知れないが、30代以下はキャラクターイラストにも同等か、人間の顔以上の親しみを持っている

 

SNSの台頭により、画面の向こうの人も普通の人間という認識が強い。普通の人間である自分の嫌なことは推しにとっても同様に嫌なことであろう。ならば推しに嫌なことを押し付けたくない。


【顔を晒さないメリット】

・顔による制限が無い。
→たとえば顔は醜い部類だが歌がうまい人がいれば、今までは芸能人になれなかったかもしれない。が、現在ではアバターを被れば解決する。ファンにとっても活躍する人が増えるのは良いことだ。

 

・活動時間が増える。
→化粧やヘアメイクの必要が無い。起きた瞬間仕事が出来るし、みだしなみの時間を他の活動や自己研鑽に充てられる。ファンからすると活動時間が多いのは得られるコンテンツの量や質が増えるのでうれしい。

 

 

以上である。

 

Vtuberの何が良いか、という部分は何も語れていないのだが、この辺にしておく。

Vtuber論:顔を晒すことのリスクとメリットについて

友人に、「上司から『Vtuberって何が良いのか。顔が良く分からん人間より顔を出している芸能人の方が良いんじゃないか』と聞かれたのだが、どう答えたものか」と話題を貰い、結構な時間を話した。

 

Vtuberの良さ」についてはもちろん沢山語れるのだが、紙幅が足りないので、まずは「顔を晒すこと」についてまとめたいと思う。

 

先に結論をまとめると、Vtuberのファンにとって「推し」はコンテンツ供給機ではなく、大事な「推し」という人間である。「推し」には朗らかに活動してほしい。

そしてファンを集める職業にとって、顔を晒すのはリスクでしかない。

であれば、推しが不必要なリスクを取る必要はなく、むしろリスクを回避している方が炎上や引退のリスクが少なく、安心して推せるのである。

 

詳しく書いていく。

Vtuberの知識】

Vtuberはほぼすべて個人事業主である。(事務所所属のVtuberは事務所に雇用される立場ではなく、事務所にマネジメントなどを業務委託している形。)あくまで個人であって非常に弱い立場だ。

・ファンは「推し」が好き。「推し」には朗らかで元気な生活を送ってほしい。
Vtuberが休暇を取るのをファンは喜ぶ。自分が推しを見られなくて寂しいことより、推しが元気なことの方が大事だからだ。

 

【顔を晒すメリット】

・本人確認のリスクを背負っていることで信用を増すことができる。
→ビジネスの場においては契約書に印を押すように、顔を晒すことは信用を得る一手段である。

→「顔も分からない人たち」というVtuber界隈の外の人からの不安感は、この信頼感で判断したものではないだろうか?


【顔を晒す行為のデメリット・リスク】

・顔は本人確認の認証要素として強い力を持つ=セキュリティホール=あまり晒すものではない。
→たとえば、プロ棋士プロ野球選手など顔が才能に関係ないのならば、顔を晒すのはリスクでしかない。町で声をかけられたり、厄介なファンに絡まれる可能性もある。ストーカー犯罪の危険もある。不必要に顔は晒さないべきだ。

 

・顔はフェチズムの一種でしかない。
平安時代の貴族の姫などは顔を晒さなかった。当時は歌や筝曲のうまさなどが異性の判断材料である。顔が好悪の判断材料であるのは一過性のブームではないか?

 

・「推し」に対して「難燃性=炎上しにくさ」を求めている
→推しの炎上はつらい。炎上した挙句、引退なんてしたら最悪だ。つらい思いをしたくないので、炎上しなさそうな、ネットでの立ち回りやセキュリティへの考えがしっかりしている人を推したい。たとえば、顔や本名をわざわざ晒すような危機意識の無い人を安心して推せるだろうか?
芸能人は事務所の守りがあるので顔を晒せるが、Vtuberの多くは個人事業主である。個人事業主は自分を守る力は弱い。


【インターネットの文化】

・アカウントを複数持ち、趣味や用途によってアカウント=アバターやアイコンを使い分ける文化
→身体の顔を気にしない

 

・リモート通話など、顔を見ないコミュニケーションに慣れている

 

・コロナの影響もあり、人間の顔をほとんど見ず、2次元キャラクターの顔の方をよく見る人もいる

 

・40代以上は人間の顔に親しみがあるかも知れないが、30代以下はキャラクターイラストにも同等か、人間の顔以上の親しみを持っている

 

SNSの台頭により、画面の向こうの人も普通の人間という認識が強い。普通の人間である自分の嫌なことは推しにとっても同様に嫌なことであろう。ならば推しに嫌なことを押し付けたくない。


【顔を晒さないメリット】

・顔による制限が無い。
→たとえば顔は醜い部類だが歌がうまい人がいれば、今までは芸能人になれなかったかもしれない。が、現在ではアバターを被れば解決する。ファンにとっても活躍する人が増えるのは良いことだ。

 

・活動時間が増える。
→化粧やヘアメイクの必要が無い。起きた瞬間仕事が出来るし、みだしなみの時間を他の活動や自己研鑽に充てられる。ファンからすると活動時間が多いのは得られるコンテンツの量や質が増えるのでうれしい。

 

 

以上である。

 

改めてまとめると、

Vtuberのファンにとって「推し」はコンテンツ供給機ではなく、大事な「推し」という人間である。「推し」に朗らかに活動してほしい。

そしてファンを集める職業にとって、顔を晒すのはリスクでしかない。

であれば、推しが不必要なリスクを取る必要はなく、むしろリスクを回避している方が炎上や引退のリスクが少なく、安心して推せるのである。

 

Vtuberの何が良いか、という部分は何も語れていないのだが、この辺にしておく。

【実録】人は風呂に入らないとどうなるのか

今日も元気に絶不調、寝たきりの病人を続けております。いしづです。

 

寝たきりで毎日寝込んでいると、まず困るのは食事である。次に風呂である。

風呂というのは人間の尊厳を守るために大事なようで、弱り具合のバロメータに風呂があるとも聞く。

 

インターネッツ、特にVtuber界隈の「やばい人間」エピソードとして風呂に入らないというのが上げられる。

これはキャラ付けともアイデンティティともなっているし、ずぼら女、ずぼら男というのはある種萌え属性でもあろうが……(萌え属性というワードがいかに最近使われていないかを今ふと気づいて愕然としているが置いておいて)、まあ「キャラ」なら許される風潮にある。

なにせVtuberのガワには反映されないので。

見た目に反映されないならオールオッケーなVtuberの良さである。

 

生身の約6割が水で出来ている身体を所有している場合、そうはいかない。

風呂に入らないと見た目にも状態にも反映される。

何を隠そう、寝たきりのこの身、自力で風呂に入るのも週に1~2度が限度である。体調が良くなればもう少し入るのだが、風呂というのはとかく体力を使うので病体には重労働すぎるのだ。

 

余談だが週に1度も入れない場合はデイサービスのような介護の方に来ていただいたり介護施設に行ったりすることになる。体調が最悪になったとしても、最悪の状態にはならないので安心してほしい。(ただしこれらは障害者手帳を持っているゆえで、障害者認定されるまでが非常に長いのだが!!!!)

 

閑話休題、数年間、週に1~2度しか風呂に入らないとどうなるのか、なかなか無い状態なのでメモしておこうと思う。

 

まずもって前提として、外に出ないので汚れも少ないし、整髪料や化粧品もつけないので洗い流す必要はない。また、最低限ウェットティッシュなどで清拭しているため、不潔による感染症などは防いでいると思う。

さらに、通院など必要に応じて風呂のスケジュールを組んで入るようにしている。

この清潔でいるか否かという点、なかなか尊厳の根幹をなしている様に思う。

 

通常、通勤などで毎日外に出るタイプの生活を送っており、毎日風呂に入るタイプの人間は、ある日の夜に風呂に入ったとして、次の日には風呂に入るだろう。

この風呂に入りカウントがリセットされた日の次の日を1日目、つまり風呂に入った日は0日目と定義する。

 

毎日風呂に入るタイプの人間は、1日目に通常風呂に入る。

1日目の風呂をスキップし、2日目の朝を迎えた場合、髪が脂っぽくべとついていることだろう。

なので、毎日風呂に入るタイプの人間は2日目の朝にシャワーを浴びたりする。

外に出る予定が無い場合は1日スキップぐらいは誰でもしたことがあるのではなかろうか。

 

問題は毎日風呂に入らない(入れない)のが常態となったタイプの人間である。

2日目の朝、毎日風呂に入るタイプの人間より、全然髪は脂っぽくない。

おそらく頭皮は毎日シャンプーをするゆえに油脂を一杯出すのだが、毎日シャンプーをしなければ油脂をあまり出さないように調整されるらしい。

季節にもよるが、3日目まではまだそのまま外に出ても良い感じの髪質である。

ただし、セットなど凝ったことは受け付けない。

凝ったおしゃれのためのヘアアイロンや整髪料は、どうも前日にシャンプーをしてカウントを0にした髪向けに作られているようだ。

 

つまり、3日目ぐらいまでは髪は脂っぽくならない。おそらく、普通に人に会っても気づかれないだろう。

 

風呂に入らなくて一番見た目にも状態にも変化があるのは髪である。

身体のにおいはウェットティッシュで清拭するためそこまで気にならない。清拭しない場合の人のことは分からないのでその方に聞いて欲しい。

 

5日目頃から、髪のべたつきが煩わしいのと、頭皮や体のにおいが気になってくる。

こうなると風呂に入りたいので、入れる体調の場合は入る。

が、体調が悪くてどうしても無理な場合がある。その場合は入れないまま6日目や7日目を迎えることになる。

 

6日目を越えてくると、なぜか抜け毛が服のあちこちに入り込んでかゆくなってくる。

どういう理屈か良く分かっていないのだが、やはりシャンプーである程度抜け毛を落として丁度良さを保っているのだろうか。

この辺りで我慢ならなくなり、体調の悪化をおしてでも風呂を決行するのである。

 

さて、風呂に入らないアピと同等に、風呂に入らない(入れない)ことへのバッシングもインターネッツではよく見かける。

が、あまりに批判するのはいかがなものかと思う。

なぜなら揶揄しているその人でさえ、明日にも週1でしか風呂に入れないような状態になるかもしれないのだ。

身体の病気であれ、精神の病気であれ、老いであれ。

 

あるテレビタレントさんが艶髪の秘密を聞かれ、週2ぐらいしかシャンプーをしないと公言したニュースを見て励まされたものだ。脂っぽいと捉えず艶っぽいと捉えればよいのだ。

しかし、そのタレントさんは不潔だとバッシングを受けて炎上してしまった。風呂も毎日入ってシャンプーをするように今はしているという記事を見てしょんぼりしてしまった。

 

人を呪わば穴二つ、ってことでね。

 

 

お風呂上りにゆっくりこの文章を書きました。おわり!

 

フルタイム健康体と病人の狭間で

先日、病院に行って主治医に会ってきた。

このところ調子が良い旨を伝えたところ、相当調子が良いという診断が下った。

 

私の病気(コロナ後遺症由来の筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)はPS(Performance Status)でレベル分けされる。

参考:

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群のPerformance status

PSは最悪が9で健康が0だ。

で、私は最悪時にPS9で、長らくPS8~6辺りをぶらぶらしていた。

もう丸3年ぐらいPS8~6であった。

いわゆる寝たきり~半寝たきり状態(家の中で多少は動けるけど外へは行けないレベル)である。

 

さて、PS8~6であった頃(先月ぐらいまで)、最悪な体調なので、障害年金をもらい、障害者手帳も取得できた。

が、障害年金障害者手帳も期間が有限である。

たとえば足が切断してもう戻らない、などは無限なのだが、病気の場合治るので有限なのである。

定期的に更新がある。

更新の際に元気だと判断されたら障害年金障害者手帳も打ち切られる。そりゃそうである。

 

冒頭に戻るが、最近私は相当調子が良い。

PSで言うと3ぐらいに良くなった。

が、3である。フルタイム健康に働ける0に至るまでにはまだまだ遠い状態だ。

しかし3である。そこそこ働けるという診断になってしまう。

フルタイム働けるにはまだまだ遠いというのに。

気を抜いたらまたPS8まで落ちるのだってすぐだというのに。

 

実際、私はそこそこ働いている。

PS8の時から、無理やりそこそこ働いている。

障害年金をいただいているとはいえ、とても生活するには足りない額なので働かざるを得ないのである。

が、現状のところ、障害年金なしでは立ち行かない額しか稼げていない。

働いているせいで治りが遅いというのもあるのだが……働かないと生きていけないし治療費も払えないので……

(余談だが、インボイス導入で困っているフリーランスというのは私みたいな人が含まれるのである)

 

いまPS3になったのは喜ばしいことだ。

無理やりそこそこ働いているのがそこまで無理せずそこそこ働けるレベルになった。

が、この状態でフルタイムは働けないのである。

働けないのであるが、現状の体調が続くと近い将来障害年金が打ち切られる。障害者手帳も打ち切られて、現在受けている福祉サービスが打ち切られると、現在仕事に回している体力をそちらに向けねばならない。

 

要するに、健康体と病人の狭間になってしまう。こうなると非常に困るのである。

今すぐに困る訳では無いが、将来的に困る予定なのは非常に困る。

(もっといえば、この狭間にいるコロナ後遺症患者が世界にはすごい人数いそうである。統計は取り切れていないと思うが、大問題である)

 

ただでさえ病気の身の程でメンタルはよわよわなのである。

ほら、寝たきりの病気でメンタル絶好調の人がいたら怖いでしょう。

明日すぐ困る訳ではない。

具体的には1年半後ぐらいに困る予定だ。

でも、将来困る予定というのは非常にメンタルがぶれぶれになる。

ぶれぶれになったので、とりあえず書き散らしておこうと思って書いている。

 

お医者さんは「ここからは良くしていくしかないですね」と言っていた。

その通りではあるが、もう数年寝たきりの身で、楽観的にはなりきれない。

来月PS0である可能性と同等以上に、来月PS8である可能性があるのだ。

元気になる以外の選択肢はないのだが。

 

うーん。困る。

まあ、これまでもどうにかなってきたし、これからもどうにかしますけれども。

どうにかしてきた人生だ。

マイナスをどうにかするのではなく、プラスをそろそろ作りたいものであるのだが。

 

ま、明日すぐ困る訳ではない。

今困っているのは、明日の締め切りの方であるのだし。

 

 

 

好きの最初はそれほどでも

トマトが好きである。

紙パックトマトジュースを箱買いし常備するぐらい好きである。

 

でも、思い起こせば最初はそこまで好きではなかった。

普通に好きな食べ物の中の一つ、ぐらい。60点ぐらい。

 

でも、何がきっかけだったか、なんとなくトマトモチーフのものを使っていたところ、周りからトマト好きな人と思われるようになった。

そうすると、おいしいトマト情報を友人たちが教えてくれるようになり、トマトを知る機会が増え、トマトが好きになっていった。

トマトジュースは常備しておくと料理にも使えて便利だし、ちょっとお茶でもコーヒーでも紅茶でもないものを飲むときに罪悪感なく飲める。栄養あるし。

トマトメインのアフタヌーンティーに行ったり、今ではすっかりトマト好きである。

 

という訳で、私の好きなものはトマトである。

が、最初からすごい好きだったという訳ではないのである。

 

好きって、最初はそれほどでもなく、積み重ねなのかもしれん。

最初はちょっとの好意でも、積み重ねる内に離れがたく特別になるもの。

 

文章を書くのも、物語を作るのも、ちょっと周りより得意だったので、やる頻度が多い内に好きになっていった。

料理もそこそこ好き。毎日するし。

 

好きなものを作るには、これが好きと決めてしまうのが一番に思う。

決めたら、積み重ねて、あとは好きになっていくので。

人間相手には、あとで知らない面が出てきてダメになるパターンもあるけれども。

 

あんまりにも突然冬が来て、寒くなって、心まで冷え冷えなので、何か久々に好きなものを決めて、好きになっていくことをしたいなあと思った次第。

何かちょうどいい好きになれるもの、あると良いな。

友人諸氏におすすめを聞くと、大体とんでもないものを提案されるのだが。

カードキャプターさくらクリアカード編がすごい

※ネタバレすごいします。

 

 

カードキャプターさくらクリアカード編がすごい。

まじですごくて興奮が収まらないので書く。

 

 

クロウカード編で魔術師クロウの残した魔法のカードが起こすトラブルを解決してカードを収集したさくら。

さくらカード編で、そのカードを自分のものに変換していく成長を見せたさくら。

クリアカード編では、今まで側にいたカードが透明になってしまい、代わりに謎のクリアカードが起こしたトラブルを解決し、クリアカードを収集していく。

 

登場人物はクロウカード編、さくらカード編で敵だったり味方だったりした皆が勢ぞろい。みんなさくらちゃんが大好き。

そこに、新キャラの秋穂ちゃんが加わって、中学生活が始まる。

 

秋穂ちゃんはすぐにさくらちゃんたちと仲良くなるのだが、なんかきな臭い。

でも、すぐに秋穂ちゃんではなく、秋穂ちゃんの生い立ちと、秋穂ちゃんの「大切なひと」であるユナ・D・海渡が怪しいのだと知れてくる。

 

秋穂ちゃんの生い立ちはつらい。

非常につらく、まだ幼い内から旅に出され、それにユナ・D・海渡が執事のように同行している。

あと、秋穂ちゃんは知らないけれど、秋穂ちゃんの持つ本の守護者であるモモちゃんも。

 

このユナ・D・海渡が今回のラスボスである。というのは登場してすぐ知れる。

見るからに胡散臭い男である。

さくらちゃんにひどいことしやがって、と最初は思う。

が、だんだん秋穂ちゃんの事情が知れていくうちに、秋穂ちゃんにもひどいことすんなよこいつ、という気持ちになっていく。

この感情と情報操作がめちゃくちゃうまい。

 

そして、ユナ・D・海渡の情報も知れていく。

なぜ暗躍しているのか。なぜ秋穂ちゃんについているのか。さくらちゃんに何をさせたいのか。

読者が予想し、解答が明かされ、秘密が徐々に知れていくのに、最後のただ一つの目的だけが分からない。

分からないが、予想はつく。どっちなのか。

ユナ・D・海渡が選択する選択肢は読者にも容易に予想がつく。どっちなのか。どう信じればいいのか。

さくらちゃんに、秋穂ちゃんに、そして大切なひとたちにひどいことをしてほしくない。

しかし、ユナ・D・海渡の選択肢は、どれも誰かがとてもひどいことになる。

その選択がユナ・D・海渡の本性であるが、その選択はクライマックス、ちょうど14巻まで明かされることがない。

 

そして、ユナ・D・海渡のさらに過去まで知れていく。

過去を知ると、ユナ・D・海渡が悪人ではなく、ユナ・D・海渡もまた大切に思われているひとであることが知れる。

でも、本性は分からない。最後の選択の時まで。

 

14巻、クライマックスで、とうとうユナ・D・海渡の選択が提示される。

それはもうとても優しいが、人に大切に思われていることを知らない人間の選択で……。

 

世界はユナ・D・海渡の願い通りに歪められる。ユナ・D・海渡だけを除して。

もうこれが……ユナ・D・海渡!!!!!とフルネームで叫びたくなる選択である。

アンナチュラルで中堂系!!!!!!!!!!と叫んだのと似た質の激重感情である。

 

ユナ・D・海渡がすべてと引き換えに得た、歪んだ幸せの世界は、長くは続かない。

一瞬、読みながら考えてしまう。さくらちゃんが歪みを暴いて、ユナ・D・海渡の企みを台無しにしてしまったら。

今度は、ユナ・D・海渡が身を賭して作った優しい世界の敵はさくらちゃんになるのではないか。

でも、そうはならないと、すぐに明らかになる。

なぜなら、ユナ・D・海渡もまた、大切に思われるひとであるから。

彼を大切に思うひとたちの力で、さくらちゃんは真実に辿りつき、そしてユナ・D・海渡を助けに行く。

さくらちゃんなら「絶対大丈夫」だから、あとはもう幸せな結末を臨むだけだ。

 

15巻はまだ出ていない。

はやく最高のハッピーエンドを読ませてくれ!!!!!!

 

ストーリーテリングがうますぎる。

クリアカード編の最初は、さすがにクロウカード編、さくらカード編を超すことはないだろう、と思っていた。

1巻のあたり、最初は登場人物紹介的な流れもあって、冗長に感じられる部分もあった。

しかし、過去の登場人物の総力戦の体をなしていく展開、成長したさくらちゃんの頼もしさ、周りの人たち、そして新たな謎……読んでいくうちにどんどん面白くなっていった。

 

いやもうユナ・D・海渡よ……本当に……。

今回、ほぼ新キャラが3人しかいない。

秋穂ちゃんと、本の守護者のモモちゃんと、ユナ・D・海渡。

 

さくらちゃんはもちろん主人公なのだが、途中で秋穂ちゃんの物語となり、終盤はユナ・D・海渡の物語となる。

この流れのうまさが……。

 

ぼくのヒーローアカデミアでホークスの物語になるところ、あそこがめちゃくちゃ好きなのだ。

裏で身を削って暗躍している大人の話になり、その大人の過去が明かされ、大人のつらい過去からすべて救う流れになるやつが……癖で……。

過去って救われるんだな!? すごい。

三月のライオンでも過去の主人公が救われるシーンがあった。

暗躍する大人が傷ついた子供をずっと秘めていて、そのインナーチャイルドが救われるのが……こう……癖です。

 

その癖を最高の絵と最高のストーリーで描かれている。最高である。

最高です……。

周りに読んでいる人が誰もいないので、ブログに書いた。

みんな読んでほしい。

 

ストーリーテリングの技法としても最高峰だったので、マダミス作家の方にも是非読んでほしい。

キャラクターが選択する選択肢は予想が出来る。

しかし、その選択によって本性が現れる。

マダミスでは、その選択をプレイヤーがする。本性を決定づけるのはプレイヤーだ。

そういう体験ができるのがマダミスだと私は思っているからだ。

 

いやもう最高だったな……早く出ないかな最終巻……。

 

憧れと香水

Amazonプライムデーですね。

ネットスーパー&生活必需品&治療用のサプリなど買いだめしていたら万を超えました。

とかく生きるのにはお金がかかる。

 

 

プライムデーのキャッチコピーが「憧れのアイテムをいまこそ」なんですが、違和感があって。

 

まず、Amazonで「憧れ」って売ってなくないですか?

食料、生活必需品、本、家電などは買いますが、憧れって?

高級家電やPCは憧れ……かもしれないですが、どちらかというと生活の向上なので、ケに属する気がします。ハレの憧れとは対極です。

Amazonは生活を売っている。

生活を売っている故に離れがたくなっているのですが……憧れではなくないですか??

まあ、憧れを売っているイメージを付けたいというコピーなのだと思いますが。

 

 

そもそも、「憧れのアイテム」って最近ありますか?

憧れって……寝たきりで最近とくに体調が悪い私からすると健康が憧れなのですが、そういうやつじゃなくて。

 

最近はモノ消費からコト消費、体験消費に軸足が移っています。

高いものはシェアする時代。所有に憧れは減ってきています。

 

ですが、考えていくと、ありました。憧れのアイテム。

というか憧れを、最近プレゼントしていただきました。

私の憧れはペンハリガンのジュニパースリングという香水でした。




そもそも、香水については長いスパンの思い入れがありまして、まずストーリーは大学卒業時に友人と百貨店に買いに行ったところから始まります。

 

就活を終え、内定ももらって、友人と私は新社会人になるにあたって浮足立っていました。しかも、ふたりともド文科系のくせに体育会系と聞く大企業に内定をいただいており、怯えてもいました。

 

そこで二人が行きついたのが香水でした。

武装としての香水。

百貨店で、これさえ付けていれば胸を張っていられるような香水を買おう。

そういう武装が私と香水の始まりでした。

 

大きな百貨店で、売り場のお姉さんに丁寧に説明してもらい、大学生にとっては背伸びのする買い物を慎重に検討しました。

雨の日でした。

私は武装のための香水に、湿気の強い日でも香りがこもって頭痛がしないような、武装に反してやわらかい香りを求めていました。

しなやかに厄介ごとをかわす、そういう強さを求めていたように思います。

 

手首に気に入った香水をつけてもらい、一度売り場を離れて1時間ほど雨の街を歩きました。そうして、頭痛もせず、気持ち悪くもならず、ちょっと胸を張れると確信して、再度お姉さんの待つ売り場に戻って、香水を買いました。

 

メゾンフランシスクルジャンのアクアユニヴェルサリスフォルテ。

私が買った初めての香水でした。

 

香水の力もむなしく、大企業での諸々をかわし切れずに人生が大変になるのですがそれは置いておいて……。

 

 

次に私が香水を求めたのは、人生が全ロスした直後でした。

本当に人生が大変になって、家は無かったものの、少しばかりの貯金はあったので、私は誇りを求めました。

私にとっての誇りは、あの日の百貨店の香水売り場にある気がしました。

 

でも、人生を全ロスした直後で、何を買えば自分の心に一本芯を通せるのか分かりません。あの日の銘柄も覚えていませんでしたし、あの日の銘柄と同じものを買う必要も無いと思っていました。今日この日、胸を張れる香りがあれば良いと思ったのです。

 

精神に誇りを付与する用途なので、香水は高級である必要がありました。

高級といえば銀座です。

銀座の香水売り場をいくつか回り、あれでもない、これでもないと試しては首をかしげます。

人生を全ロスした直後なので、何かを探しているのですが、何を探しているのかは分からなかったのです。

 

そして、色々と回っている内に、ふと、当たりの香りに辿り着きました。

そう、あの日買った香水の銘柄に辿り着いたのです。

 

あの日の香水に辿り着いた時、私の心には、やっとたどり着いたという気持ちと、あの日に戻るような気持ち、両方がありました。

友人と百貨店で背伸びをした日から、色々ありました。

あの日の香りを再度手にするということは、その後の色々を繰り返すような気もしたのです。

純粋に、胸をそっと張ってくれる香りではもう無くなっています。

色々な人生の波乱を、その香りの意味は含んでしまいました。

この香りを付けると、つらい出来事を沢山思い出してしまう気もしましたし、好きな香りに悲しい意味を付与することもつらかった。

 

しかし、つらさと同時に、友人と一緒に強くあろうと、武装しようとした、背伸びする強さも香水の記憶にはありました。

大学生の私は、つらい記憶を知らないけれど、今の私は知っている。

 

私は悩みました。買うかどうか。

これ以上好きな香りはありません。しかし、香りの意味が変わっている。

 

ふと、その時逆に考えました。

買わないとしたら。

ここで、この香水をつける人生を取り戻さないとしたら。

それは、その瞬間こそ、人生の波乱への敗北を意味する。

大学生の、背伸びしつつ、人生に立ち向かうために武装し、前を向いていた気持ちを、二度と手に入れられないかもしれない。

 

香水を買う、買わないではない。

あの日の誇りを取り戻す、そういうことなのだと、理解したらすんなりと腹落ちして、私はあの日の香水を買いなおしました。

香水を買いなおすこと、即ち清濁併せのんで人生を取り戻すと決めること。

 

 

2種類目の香水は、その時ハマっているキャラのイメージにぴったりの香水があったので買いました。特に人生には絡みません。

J-scentの沈香

J-scentは安くて個性的な香りがあって好きなブランドです。3000円程度で良い香りが手に入るのでオススメです。

ムスクの中にすこし柑橘が混じる、落ち着いた香りです。

寝る前に布団にかけると落ち着きます。

 

 

3種類目の香水は、コロナ禍で、体調も大分悪くなっていた頃でした。

蔦屋書店で並んでいた猫のイラストや猫型の瓶がかわいい香水です。

Comme des Garcons Grace By Grace Coddington、Vogueのエディターを長年つとめたグレースコディトンがプロデュースした香水です。

香りを試させてもらうと、甘いローズの中にきりっとしたスパイスが効いた一筋縄ではいかない匂いがしました。

コロナ禍において、既に病気を発症して弱り始めていた心に、すっと清涼剤のような香りは絶対に必要な香りでした。

香りとは反して、瓶にかかれたおどけた猫のイラストのユーモラスさも気に入っています。

 

 

銀座で、香水を買いなおした際、気に入った香りが2つありました。

ひとつはサンプルでいただいたペンハリガンのジュニパースリング。

もう一つは香りだけ試したメゾンフランシスクルジャンのウード。

 

 

ペンハリガンのジュニパースリングはすっと鼻に抜ける爽やかな香りが気持ちいい香水です。

森林のコテージで真夏に飲むミントたっぷりのモヒートのような、透き通るグリーンの香り。

 

今まではフェミニンな香りばかりでしたが、サンプルでいただいたジュニパースリングの爽やかな香りもお気に入りで、サンプルを少しずつ付けて大事に使っていました。

 

気に入ったものの、ふらっと買える値段ではないのです。

サンプルをいただいた時、私の人生は全ロスしていました。

人生を取り戻し、いえ全ロスする前よりもっと良くして、いつかお給料が上がって余裕が出てきたら買おう、という目標であり、憧れの香りがペンハリガンのジュニパースリングでした。

 

それから人生は順調に進んでいく……訳もなく、数年は順調にキャリアアップしていったものの、コロナ禍にコロナ後遺症に罹って、私は寝たきりになってまた人生の大きな部分を欠けさせる羽目になりました。

 

コロナ後遺症になって、幸いだったのは味覚と嗅覚は異常が無いことです。

たまに香水をワンプッシュするのは数少ない気分転換でした。

 

徐々に減っていくジュニパースリングを、いつか手に入れるのだ、という憧れが、私をベッドに寝たきりの人生から、かろうじて起き上がらせました。

ほぼ寝たきりではあるものの、出来る範囲のことで人生を立て直そう、という微かですが鮮烈な誇りは、缶詰のように香水に詰められていたのです。

 

そうして、どうにか人生を立て直して仕事をしていく内に……

お仕事をご一緒させていただいていたミナヅキじゅんさんから、ジュニパースリングをプレゼントしていただきました。

 

とても高価なものなので恐縮8割でしたが……でも、目から鱗のような喜びがありました。

もちろん単純に欲しいものが手に入ったという喜びもありますが、それとは別に……

ちゃんと人生を立て直し、人の役に立つ仕事ができたことへの勲章のようないただき方だな、と思ったのです。

 

自分でお金を稼いで買うというのはある種マイルストーンであり、アチーブメントです。でも、いただくというのは……認めていただいたという、勲章ですね。

ジュニパースリングは、他の香水のように誇りの詰め合わせではなく、勲章となりました。

 

 

さて、憧れを手にしてしまったので、次の憧れを定めないといけません。

最近どうにも体調が悪いので、前を向く方向が定まっていないとすぐ精神まで沈んでしまいそうなのです。

 

もう一つ、あの日、気に入った香りにメゾンフランシスクルジャンのウードがあります。

ウードはユニセックスですが、セクシーな香りなので私には似合いません。

たとえるなら異国の王子様のような香りなのです。

もし恋人やパートナーと呼べるような人が出来たら、ウードを贈って付けてもらいたい。私好みの王子様の香りをまとってほしい。

そういうわがままに付き合ってもらえるようなパートナーに出会いたい。

 

そして、4万以上する香水をプレゼントできる財力も身につけたい。

その為には稼ぎたいし、ウードの香りがする方の隣にいても見劣りしないよう外見も美しくありたい。

 

次の私の憧れはウードをパートナーに贈ること。

そういう風に決めました。

憧れがあるので、きっと折れずにやっていけます。

 

 

憧れは定めました。欲しいものは口に出すと叶うと言います。

パートナー、家、仕事、随時募集しています。

当方寝たきりながら自立しており、おもしれーやつです。

高級な香水について書いていて金遣いが荒そうですが、実際、覚悟を決めて買ったこの数回しかありません。

おもしれーやつをご用命の方、どうぞお声がけください。